[不思議な話] 1985年 つばめ荘

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0歳より前、昭和46年以前の記憶である。
これは霊との遭遇では無い。

当時、私の両親は、祖父母とのトラブルにて実家を夜逃げ同然で飛び出し
福岡県・某所で「つばめ荘」という木造2階建てアパートに住んでいた。

以下、つばめ荘の見取り図である。


この話で重要なのは、両サイドに2つ、奥に1つ共用炊事場がある。という事だ。


住んでいた部屋

私達家族の部屋は、左列の一番奥の部屋である。

ドアを開けると、そのまま畳が敷いてある。
部屋の広さは4畳程の部屋である。

部屋には、押入れがない。

選択物干し場には、常に大量の洗濯物が干してあり。

子供も何人か住んでいたので、毎日、回廊を走って遊んだ。



思い出話

中学生の頃、ふとした時に、つばめ荘の話になった。

私は「つばめ荘の見取り図」を書き、その時の生活を、思い出話として話した
話した内容は、 先ほど記した内容を、さらに詳細にしたものだ。


母は嬉しそうに、懐かしいと喜んでいた。

「住んでた部屋は違う、右列手前から2番め」
そう言って笑った。


ふと、何かを思い出したような顔で、母は私に言った。

「なんで知ってるの? あんた、そこに住んだこと無いわよ
あんたが生まれた時は、もう別の所に引っ越した後だから」


そんなはずはない

「いやそんな筈は無い、しっかり覚えている、この図も、間違ってないだろう?」

母は、「間違ってないと思う」そう言った。
しかし、母は「あんたの妊娠を機に引っ越した。それは間違い無い」ともいう。


「俺に話した事はある?」そう聞いた。
「有るかもしれないし、無いかもしれない。判らない」と答えた。

「でも、絵を書いてまで説明した事は無い。」そうとも言った。



「それに…そういえば…
それに、もう、床が腐って危ないからと、共有炊事場から奥の通路は封鎖されていたはず」

母は続けて

「そういえば、封鎖されていた場所の雨戸はずっと閉めてあったから
この、奥の炊事場があったかどうかは覚えてない」

そう言った。


後日

私は 「つばめ荘」へと向かった。

そこには、もう誰も住んでいないのか、廃墟同然の建物があった。
玄関には家具や木材が山積みされており、「つばめ荘」の看板も外されていた。

共同玄関の畳は腐り、抜け落ちそうだった
洗濯物干場は、胸まであるような雑草が鬱蒼と茂っていた。

そして、確かに、回廊の奥側
共同炊事場から奥は、板でしっかりと封鎖されていた。

私はこっそり、洗濯場へ降りた。
殆どの雨戸は外されていた。

洗濯場から、奥の炊事場らしきものを見ることが出来た。
やはり、その炊事場はあった。

10年後

20代の中盤だと思う、再び「つばめ荘」の話になった事がある。
私は、自身の記憶を話す事も無く、ただ母の話を聞いていた。

そのとき、母は間違いなく言った。
「それで、奥の方で2件の自殺があって、封鎖されたらしいんだよね」

 10年前、幼い私に語るのは躊躇われたのだろう、
 私は、それに対し、何も答えなかった。


所感

今はもう、この建物は無い。

いったい、 廊下を走り回った記憶は、誰の記憶だというのだろう?

いくら考えても、正しい答えなど得る事ができるはずもない。



※1) ある特定の日付の記録では無いため、初めて異常な記憶だという事に気づいた13歳の記録とした。
注意書き:
可能な限り記憶に忠実に記述しています。
しかし、公開するものであること・記憶の劣化に伴う次の事柄をご了承ください。
(1) 記録であるため、「物語的な結末」は期待できません。
(2) 記事中の写真・地名・人名・店名など、全ての名称は実際のものとは完全に変えてあります。
(3) 人との会話は正確に覚えていない事が多く、その殆どは「こんな感じの会話」です。
(4) 日付を覚えていないことが殆どですので、記録の日付は適等です。
(5) (?)マークの付いた表現は記憶が曖昧であることを意味します。

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